ニュースの感想

 麻生副総理をはじめ閣僚・国会議員の多くが靖国神社を参拝し、これに対して中国・韓国が強く反発しています。

 私は、麻生副総理をはじめ自民党の議員の方々の、「靖国神社参拝は国内問題であり、とやかく言われることではない。」という意見に、賛成です。
 しかし一方で、「言葉を選ぶ度量を示して欲しい。」とも思います。

 私は現在弁護士業を行っています。特段案件を選んではいないのですが、医師でもあるという経歴から、自然医療訴訟が集まってきます。私はこれまでの業界の通例(医師側専門の弁護士は医師側しかやらず、患者側専門の弁護士は患者側しかしない)に反し、患者側でも医師側でも、案件を受けています。

 医療事故、殊に生命にかかわるような医療事故にあった患者さん、そのご家族の怒りと悲しみは、筆舌に尽くしがたいものがあります。それまで健康だった人が、一夜にして死の床に伏せるのですから、当然と言えば当然でしょう。患者側代理人となった時私は、勿論その悲しみ、その怒りを少しでも慰撫できる結果を得るよう、全力を尽くします。
 しかし、です。本当のところ患者さん、そのご家族の気持ちは、何処まで行っても癒されることはありません。失われた機能、亡くなった命は、永遠に戻りません。患者さん、ご家族の本音を、誤解を恐れずに書くなら、「失った手を戻してくれ。亡くなった子を蘇えらせてくれ。それがかなわぬなら、罪の償いに、永遠に地獄の底でのたうちまわってくれ。」ではないかと思います。
 しかし、「永遠」は、神ならぬ我々には、何であれ手に入りません。たとえ裁判で100%勝ったとしても、手に入るのは、有限のお金と、有限の謝罪にすぎません。絶対に手に入らない永遠を求めて、自らの、有限の命を使い果たすことは、患者さん、ご家族にとっても、不幸な結果になることが多々あります。私は時として、自らのクライアントに、有限の形の中に納まりきらない怒りと悲しみを飲み下すよう、説得します。

 一方で、医療事故で訴えられた医師の困惑と、それに代わってやがて湧き起こる怒りも、私は理解できます。医者は、よほどの天才でない限り、「やってしまった…」という十字架の一つや二つを心に抱えています。重大な結果に陥った患者さんを前にして「自分のミスだ。もっとうまくできたはずだ。すまなかった。」そう思わない医師は、むしろ少ないでしょう。
 しかし、ミスは、当然、悪意を持って行われるものではありません。医師の側には同時に、「やりたくてやったんじゃない。仕方がないじゃないか。」という思いがわきます。そこに患者さん、ご家族から、まるで犯罪者のように責め立てられると、自己防衛本能も働いて、「医学的には十分なことをやった。今回のような事態は一定の確率で起こりうる。当方にはミスはない。よって謝罪にも賠償にも応じられない」という主張を徹底的に展開することになります。
 私も医師側の代理人となった時は、勿論、医学には一定の不確実性があり、これを許容しなければ医療は成立しないこと、医師は医学的には十分な措置を講じたこと、患者さんに生じた結果と損害は不可避であったことを、科学的かつ合理的に徹底的に論証します。
 しかし同時に、いかに科学的かつ合理的に論証しても、私たちはそれに収まらない、人間という名の不合理な存在です。論証している医師自身が、心の中に癒しきれない十字架を持ち続けていることを、私は知っています。私は時にクライアントである医師に、「先生、先生の言うことは正しい。でも患者さんが求めているのは、正しい説明じゃない。あなたが心の中に持っている、その不合理な十字架なんです。あなたがそれを持ち続けているということを形にしてあげることが、彼らにとっては何よりの救いになるんです。そしてそれはきっと先生にも、救いになります。理不尽を飲み下してください。」と説得します。

 日本と中国・韓国の関係も、これに似ていると私は思います。法的には戦後賠償は、日中平和条約、日韓基本条約で完全に解決しています。
 日本は日本の立場で、正々堂々と国家の為に命をささげた人々の為に、祈って恥じるところは、一つもありません。
 しかし一方で、かつての日本の行為によって、一夜にして不幸のどん底に落とされた人々が他国にも多数いたのだということを、私たちは忘れてはならないと思います。

 被害者と加害者の間に横たわる溝は深く、暗く、永遠のように見えます。しかし、有限の生を生きる私たちは、生きている時間の中で、それを、越えなければなりません。それを可能とするのは、ありきたりですが「相手に対する思いやり」と、「理不尽を飲み下す度量」以外にはないように、私は思います。麻生副総理をはじめとする皆さんには、国家の代表として、自らの思いを正々堂々と述べつつ、相手を思いやって言葉を選ぶ度量を示していただきたいと、私は思います。


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コメント

コメント、失礼します。

麻生太郎は言葉を選ぶべきだったというのはその通りだと思います。

弁護士・医師の立場からのお考えをお書きの中間部もその通りかと思います。

ただ、「日本と中国・韓国の関係も、これに似ていると私は思います。」には賛同できません。
もちろん、米山さんは分かった上でお書きのことでしょうが、読んだ人が勘違いをする可能性があるのではないかと・・・。

「かつての日本の行為」という言葉を目にした時、「米国が言うように(東京裁判)、中国が言うように(南京大虐殺)、韓国が言うように(従軍慰安婦)、日本は侵略戦争を行って悪事の限りを尽くしたのだ。」と思っている人がいるわけですから、その誤解を解いてからでないと、良く使われるその言葉は危ういと思います。
驚くことに、私の知人(若造ではありません)などでもそう思っている人がいます。
しかし、東京・南京・従軍は、日本を陥れるための三大偽造工作だと言っても過言ではないと思います。

それから「被害者と加害者の間に横たわる溝を乗り越えることを可能にするのは相手に対する思いやりである。」というのも、今までの中国や韓国とのかかわりを見れば疑問です。
日本国は思いやりを示してきたのではないでしょうか?。一方で韓国や中国はどうだったでしょうか?。
彼の国は今でも反日教育をしているというような記事を目にすることがありますがどうなんでしょう?。彼の国の人々の反応を見ていると、しているんだと想像します。

そのような彼の国に対しては、相手に対する思いやりを示す一方(むしろその前)で、偽造工作を止めてもらわなければなりません。
そうでなければ、今までと同様に、思いやりを示した分だけ付け込まれると思います。

もちろん彼の国に限りませんが、理不尽は飲み下してはいけないと思います。

選挙、頑張ってください。
私も、「民主党か維新か」、「生活の党か維新か」と問われれば維新(石原派)です。
森か米山かと問われれば米山です。

  • Posted by 阿部伸一
  • at 2013/04/24 21:06:21

阿部さん

コメント、ありがとうございます。応援うれしいです。選挙、頑張ります。

なおお返事が長くなりましたので、稿をわけて「東京裁判 ‐リーダーの矜恃-」で論じさせていただいております。ご参照いただけると幸いです。

  • Posted by 米山隆一
  • at 2013/04/27 18:42:54

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