記事「靖国参拝と医療訴訟 ~被害者と加害者の永遠~」に対する阿部真一さんへのコメントが長くなりましたので、功をわけて論じさせていただきます。

 阿部真一さん、コメントありがとうございます。

 私も従軍慰安婦は真実でないと思います。過去には「Dear Representative Mike Honda ‐従軍慰安婦問題について- (http://www.election.ne.jp/10840/4649.html) 」のような記事も書きました。
    南京大虐殺は、南京で市街戦があったことは事実でしょうが、中国側が言う死亡者数は明らかに過大でしょう。

 では、東京裁判はどうでしょうか。戦犯とされた一人一人についてのケースは事実誤認もあったでしょうし、戦争を戦った勝者が敗者を裁く是非も、問題はあると思います。
 しかし、それらをひとまずおいて、「日本を戦争に導いた当時の日本のリーダーに、責任はあるのかないのか?」と問われたら、私は、「重い責任がある」と断言します。

 私は1980年代後半、「ジャパンアズナンバーワン」の時代に、当時盛んだった「日本異質論」を題材とした日本経済新聞の学生論文コンクールに入選して、アメリカを旅行し、各地を見学させてもらったことがあります。当時日本のGDPはアメリカの60%に達し、次の覇権は日本と言う人さえいました。希望に燃える若者として私は意気揚々とアメリカに向かいましたが、眼下に広がる広大なアメリカ本土を横切ったのちJFK空港に降り立った瞬間、「アメリカに勝つことは不可能とは言わないまでも極めて困難だ。」と直感し、2週間の見学旅行によってそれは確信に変わりました。

 日米開戦時の1940年代、日本は、軍事費こそアメリカの1.5倍でしたが、GDPはアメリカの20%にすぎませんでした(統計が古く確度が低いのはご容赦ください)。科学技術の開発力に至っては、比較すら恥ずかしいレベルでした。日米開戦は誰がどう見ても、狂気の沙汰にすぎなかったのです。
 全体主義で国民の不満を抑え、経済(国民生活)・科学技術開発に向かうべき国の資源を軍事に集中することで世界でのプレゼンスを高め、目いっぱい背伸びして実力に見合わない国際的地位を求めるその姿は、誤解を恐れずに言うなら、今の北朝鮮・中国とどこかかぶります。

 また、百歩譲って、列強の植民地分割の時代にあって、日中戦争、日米開戦が避けられなかったとしても、ミッドウェー海戦に敗北した後は、日本が勝利する見込みは、ゼロになっていました。国のリーダーは、この時点で速やかに自らの判断の誤りを認め、終戦条約を締結したのち、責任を取るべきでした。
 にもかかわらず、当時の日本のリーダたちは、外から見たら「自爆テロ」と大差のない特攻攻撃を未来ある若者に命じてその命を奪い、東京大空襲をはじめとする都市への攻撃で一般市民の命が奪われて尚勝算なき戦争を継続し、敗戦した後も少数の例外を除いて進駐軍によって断罪されるまで自らの責任を認めて身を処すことがなかったのですから、国民の命よりも自己保身を優先したと断じられて、仕方がないと思います。

 また、あまり語られないことですが、この戦争前、日本は英・米・仏・独・伊と並ぶ世界の六大国の一つでした。それは、一朝一夕に得られたものではなく、明治維新から、若しくはそれよりもはるか以前からの、多くの日本人の営々たる血のにじむような努力で得られたものです。それを当時のリーダーたちは、狂気と言って過言ではない自己陶酔に駆られて、何の根拠もないまま、いとも簡単にドブに捨てたのです。彼らは、当時命を落とした人たちだけでなく、先代、後代の多くの日本人に対して、重い責任があります。

 リーダーも、勿論人の子です。私自身、この身で、小なりと言えど国のリーダーの一角を担わせてもらいたいと、思っています。神ならぬ身に、出来ることが限られているのは、よくわかります。
 しかしリーダーは、その立場に就いた瞬間、非常に多くの人の、運命を左右します。今いる人の生活、これから生まれる人の未来ばかりでなく、場合によっては既に亡くなった人の名誉まで、その肩にかかります。
 不確実を残しての選択はやむを得ないとしても、決断にあたっては、自らの思い込みや願望を可能な限り排し、冷静に現実を見つめ、成功する見込みが少しでも高い戦略を立て、着実にそれを実行しなければなりません。そして不幸にして思わぬ結果が出たら、その原因を分析し、自らに責任があれば、正面からそれを認めてそれにふさわしい身の処し方をすべきでしょうし、もし何らかの事情でそれができないのなら、せめてあらゆる非難を、受け止めるべきでしょう。
 その十字架を一生背負って生きていく覚悟があることこそが、リーダーの矜恃であると、私は思います。

 靖国に祀られているリーダー達の思いを、私が知るすべはありません。しかし、あの世で、自らの責任に心を痛め、自らが奪ってしまった命の為に、血の涙を流してくれていると、私は信じます。


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コメントをいただきありがとうございます。
私の書き込みに対するコメントであるとともに、米山さんのリーダー論の一端をお示しいただきました。
さらに、そのようなリーダーとしての覚悟を米山さんがお持ちなんだということも確認させていただき、心強く思います。

米山さんのブログの読者様ですから、こんなことを書くまでも無いと思いますが、念のために添えさせていただきます。
「東京裁判の是非」と「日本を戦争に導いた当時の日本のリーダーの責任(日本国民に対する責任)」は分けて考えるべきだと思います。

従軍慰安婦問題に関する、米山さんの記事を拝見しました。
私も小学校3・4年の時の担任は共産党の教師(丸山久〇さん)で、「日本軍と日本国は悪者であり、日の丸はその象徴だから、祝日でも日の丸を揚げてはいけません。」というような話をよく聞かされました。
そうした反日教育に抗するためにも、一日本国民として東京裁判に関する基本的なことくらいは知っておきたいと思っています。

その点からも、東京裁判の是非については、米山さんがひとまずおいたところもきちんと認識しておかなければいけないと思いますので、念のため・・・。

先ず、南京大虐殺と東京裁判は連動していますが、日本軍の蛮行と悪い国日本を捏造するためのヤラセだと思います。

それから、裁判が事後法の遡及的適用であったことや、裁く側が全て戦勝国が任命した人物であったことや、戦勝国側の行為はすべて不問だったことなどから、「勝者の裁き」であり不当です。


一方で、『「日本を戦争に導いた当時の日本のリーダーに、責任はあるのかないのか?」と問われたら、私は、「重い責任がある」と断言します。』は全くその通りだと思います。

政治屋なら別ですが、米山さんなら政治家になどならず医師や弁護士として活躍するほうが楽だと思います。
それでも「十字架を一生背負って生きていく覚悟」までして政治家を目指すというのですから・・・、敬服しました。
是非頑張っていただきたいと思います。

自民党が好きなわけではありませんが、経済や対外的なことなども考えれば、少し日本が落ち着くまでねじれているのは良くないと思います。
有権者としては悩ましい所です。
米山君と塚田君の席替えがあればいいのに・・・(笑)。

いずれにしても、新潟県選挙区からは米山さんと塚田が選出されることを期待していますし、そうなると思っています。

小沢と一緒に泥船民主党を抜け出して、党名を変えたり他の党とくっついたり離れたりして誤魔化して、それでもやはり自分たちの議員生活が第一だという者など論外です(きっぱり!)。

  • Posted by 阿部伸一
  • at 2013/04/28 12:14:40

阿部伸一さん、コメントありがとうございます。

実は私も小学生のころ、バリバリの共産党の先生から、「日本性悪説史観」的な授業を受けました。時代だったのかもしれませんね。

ちなみに自民党時代ですが、選挙活動でさる町内会のお花見にお邪魔したら、なんとこの先生がおられて、相変わらず「おれ教え子が自民党から立候補するとは…。教育が間違っていた…。」とおっしゃられていました(笑)。

いずれにせよご期待に沿えるよう、全力で頑張ります!

  • Posted by 米山隆一
  • at 2013/05/05 22:56:41

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