新年あけましておめでとうございます。

 既に地元紙に報じられている通り、私は今後とも日本維新の会で、参議院選、その後の衆議院選を戦っていくつもりですので、ここにご報告させていただきます。個別にどの選挙の候補者となるかは、党が決めることですので、現時点では全く分かりません。

 私が日本維新の会で政治に取り組んでいく理由について、そもそも私が自民党から日本維新の会に移って前回衆議院選挙を戦った経緯を含めて、ここで改めて、ご説明させていただきます。

 まず私は、前々回の選挙後、再び自民党での立候補の意思を伝え、本部はこれを了承いたしました。新潟県連はこれを、何ら機関決定を行うことなく、トップの一存で「なかったこと」にしました。あえて明言させていただきますが、私が「自民党を裏切った」と評されるのは、事実に反し、極めて心外です。

 そのような事情はありましたが、それに対する意趣返しが私の立候補の理由では全くありません。私が自民党を離れて維新の会から立候補した最大の理由、それは、

 「自民党では、現実を見据えて、未来を創ることはできない。」

と考えたからです。

 私の身に起こったことは、私自身の不徳によるところも大きく、実際、非常に反省もしました。しかし、それはそれとして、地方組織の一個人が、総裁選挙で選ばれた執行部の決定を、何ら公にすることなく覆せるというのは、そもそも民主主義の在り方、組織の在り方として間違っています。
 更に私は、前々回の衆議院選挙において、演説の内容にまで、制限を受けました。その制限の内容は、端的に言って「公共事業をやると言え。」に尽きました。それは、あるべき姿ではありませんし、何より政治というものを、地域と国の未来というものを、矮小化しています。

 私は断言します。公共事業で道路や橋は作れても、国の未来はおろか、地域の未来も、そこで働く人の未来も、作れません。

 今、衆議院選挙に勝った自民党は、10年間で総額200兆円、年間20兆円ものお金を投じて、「国土強靭化」という名の公共事業に邁進しようとしています。県内各議員すべての方が、もろ手を挙げてこれに賛成しています。

 しかし、公共事業で景気がよくなる、公共事業で地方の雇用が増えるなどというのは、平成の現実も世界の変化もまるで知らない、「昭和の夢」から覚めない方々の、世迷言です。

 昭和の時代、田中角栄先生の時代は、日本中が高度成長に沸き、国の財政は潤い、日本製品は世界を席巻していました。その時代、公共事業で地方のインフラを整備し、地方と中央の経済格差を均等にする政策は、正しいものでした。それによって、日本全体の競争力もつきました。

 しかしその素晴らしい時代は、既に終わりました。時代も、世界も変わりました。日本の景気は低迷し、財政に余力はなく、日本製品は韓国・台湾・中国をはじめとする多くの国との激しい競争にさらされています。地方にさらに道路を増やすことは、メンテナンスの費用を増やすだけで、日本製品の競争力を高めることにはつながりません。良かった時代の夢に囚われ、良かった時代に効果があった方法にしがみつき、眼前の事実から目をそむけ、新しい方法を排除する、それがどれほど日本全体の力を落とし、お子さん、お孫さん達の未来を奪っているか、私たちは、今まさに、認識しなければなりません。

 今、私たちのこの時代に必要なのは、お仕着せの道路や橋ではありません、実際に働いている企業が必要としている設備・世界で勝てる技術であり、実際に働いているお母さんが必要としている子育て支援であり、実際に働いている人が必要としている就業支援であり、雇用創出促進策です。そして何より、これから地域を創り、日本を創る子供たちが、世界最高の人材となるために実際に必要としている教育です。
 高度成長時代の日本人が、自らの汗で豊かな生活を勝ち取ったように、明治時代の日本人が塗炭の苦しみの末に先進国の仲間入りをしたように、地域の未来も日本の未来も、実際に働く企業が、実際に今働いている人が、実際にこれから働く若者たちが、自らの手で、時間をかけて作る以外の方法はありません。国が、政治が行うべきはその支援です。
 公共事業をすれば、国会議員に頼めば、地方の声を国に伝えれば、それで今すぐ地域と国が豊かになると考えるのは、率直に言って甘えにすぎません。今の日本では、恐ろしいことに、現に働く世代、これから働く世代が厳しい「平成の現実」を肌身で知っているにもかかわらず、リーダーであるべき世代が、「平成の現実」にさらされない高みで、「昭和の夢」に酔っているのです。

 私が今言ったようなこと、私が掲げるような政策は、当然「昭和のリーダー」も、自民党もわかっていて、言うまでもなく実行すると、おっしゃられる方もおられるでしょう。それは確かにその通りです。そもそも「良い政策」は誰にとっても「良い政策」で、党ごとに、「何をするか」について大きく変わることはありません。古くなったトンネルを補修する公共工事をしない党も、子育て支援を否定する党もありません。
 しかし、すべての政策には、お金がかかります。年間20兆円、税収の半分をもつぎこんで公共事業をすれば、他の政策に回る額は微々たるもので、「やってみるだけ」に過ぎなくなります。日本の財政が限られている今、政策に優先順位をつけること、本当に必要な政策、本当に未来を創る政策に、本当に必要な額をかけること、逆に言えば、必要でない政策にはお金をかけないと決断すること、「何をするか」のみならず「何をしないか」を決めること、「何かをするなら、実際にそれを実現する具体的方法を、自ら考え出すこと」それこそが政治の役割です。
 残念ながら、「昭和の夢」に依拠した地域の要求、「昭和の夢」に酔う有力者の要求に「何も考えず、今まで通りのやり方で、総て応える」ことが何より最優先で、それが本当に必要なことか、時代の要請にあっているのか、お子さん、お孫さん世代の為になるのか、本当に実現可能なのかを問わない組織に、その役割は果たせないと、私は考えます。

 二回の選挙を通じて、私は、本当に自民党の皆さんにお世話になりました。一人一人の顔を思い浮かべれば、足を向けて眠れない方々ばかりです。しかし、それでも私には、こうしなければならない理由がありました。自分を明治の志士に例えるのは非常に恐縮ではありますが、あえて彼らの気持ちを借りて、私の心境を述べたいと思います。
「自分を育ててくれた藩にも、藩の仲間たちにも、お殿様にも、将軍にも、心から恩を感じる、申し訳ないと思う。でも、『江戸の夢』に酔っていたら、日本はつぶれる。自分を育ててくれた地域に、日本に、もっと申し訳ないことになる。だから、脱藩してでも、裏切り者と呼ばれても、『明治の現実』を見据えて、日本にとって必要な政策を実現する。」おそらく彼らは、そう思ったのだと思います。私はそれと同じ心境で、「平成の現実」に対処すべく、日本維新の会に身を投じたいと思います。

 日本維新の会は、非常に未熟な組織です。橋下代表代行、石原代表ともに尊敬はしますが、その技量を過大評価するつもりはありません。しかし明治維新も、未熟な、しかし「日本の現実と世界の現実」を理解した若者によって成し遂げられました。「敵を知り、己を知れば、百戦これ危うからず」はよく言われます。この原典の「孫子」には、「敵を知らず、己を知れば50勝50敗」「敵を知らず己を知らざれば、100戦これ危うし」もまた、記されています。たとえ技量は未熟でも、厳しい「平成の現実」を知っている方が、「平成の現実」に目をそむけ「昭和の夢」の中の過大な自己に酔っているよりも、遥かに日本と地域を立て直す可能性は高いと、私は思います。

 以上が、私が、日本維新の会で、政治に取り組む理由です。

 地域の、日本の、そして何より私達の未来を創るために全力で頑張っていきたいと思いますので、本年も変わらぬご支援を、心よりお願いいたします。

米山隆一


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