高校必修科目履修漏れ問題に思う

  • 米山 隆一
  • at 2006/10/30 16:18:26

 現在高校の必修漏れが話題になっています。色々な報道がなされていますし、政府も今週中に対策を示すことを言明しています。様々な原因が挙げられていますが、私は、この問題の最大の原因は、学校の進学率優先主義や週休5日制による授業時間不足等々の背景以前に、教育現場の質の低下にあると思います。

 そもそも高校の必要単位74単位のうち、必修科目は13科目31単位(一単位は、50分35回で、ほぼ週1回1年間の授業に相当)で、それほど多くはありません。普通に考えてこの必修を3年間でこなすことに、大きな無理があるとは思えません。又、社会、理科を全て数学、英語にあてると言った極端なことをするならともかく、週1-2回の世界史の授業を地理にする等、一科目の必修を他科目に振り返ることが、ものすごく受験の役に立つとも、正直思えません。勿論本当に有効だったのかもしれませんが、それならそれで、週1-2回の補習を行えば良い訳で、必修の振り替えをせざるを得ない理由にはならない様に思えます。現場を知らない単なる推測に過ぎないのですが、必修漏れが生じた本当の理由は、「ある授業を週一回増やすことが、進学率を上げるのに有効だった」からではなく、「『受験に関係ない授業を、何故週一回うけなければならないのか?』と言う生徒・父兄の声に、学校が迎合したから」若しくは「学校側自体が、受験に関係ない授業はやる必要がないと思ったから」というのがと言うのが本当のところではないでしょうか。

 詳細な情報がないのでこれも報道からの推測に過ぎませんが、今回履修漏れとなった科目の可也の部分が、「世界史」と「情報」であるように思います。IT化した現代社会では、何処で働くにせよ、ある程度のコンピューター知識があることは、ほぼ必須になっています。又、世界史について一通りの知識を持っていることは、今より更に国際化の進んだ社会を生きるであろう子供たちには、重要なことでしょう。何より、実社会で生きていく為には、「受験とは無関係に、多くのことを学ばなければならないこと」と「ある種のルールは、厳格に守らなければならないこと」を子供たちに教えることは学校の義務でしょう。現場の先生がそういったことをきちんと説明して生徒・父兄を説得できなかったことこそが、この問題の本質であると、私は思います。

 この問題を「今回どうあつかうか」に関しては、総論として「補習で対応可能な範囲は補習を行う。補習が現実的に不可能な範囲に関しては特例の単位算入を認める。補習の時期は受験を考慮して柔軟に対応する」とするしかないでしょう。しかし、教育委員会を含めた現場は、是非今回の問題の一義的な責任は自分達にあることを認識して今後に生かして欲しいと思いますし、管理する側の文部省、そして政府与党は、「必修をきちんと教えられる現場の質の確保」に全力を尽くして欲しいと思います。何か問題が生じた時に、制度的背景を探ることは勿論重要です。しかし、学校の先生を始めとして責任を取るべき大人たちが常に自らの責任を回避して「制度が・・・」と言うだけでは、子供たちに「責任」を教えることなど不可能になってしまうと、私は思います


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コメント

うーん この問題もしかして卒業した私たちにもあったのでしょうか?

  • Posted by 大学生
  • at 2006/11/07 09:19:05

今年の高校生は運が無かった。 あと1年早ければ、あと1年遅ければ。 なんで今年なの。 今まで見過ごしてきたくせに。

  • Posted by 高校生
  • at 2006/11/11 14:10:30

高校生さん、大学生さん  必修未履修、全体の1割に上るとのことですね。私は当初もう少し限られた範囲だと思っていました。認識が甘かったことをお詫びします。  全体の1割と言うことですと、既に卒業している人の相当数が、単位不足であったことになります。そうなると、私も大学生さんも単位不足である可能性は相応にあるわけで、高校生さんの「何故今年だけ」と言う気持ちは、心情的に十分理解できます。  ブログに書いたとおり、この問題は、「直接の責任者である現場の校長、それを管理していた教育委員会が責任を取るべき」と言う筋論はきちんと通すべきだと思います。その筋論を忘れてしまうと、「皆がやっていることなら現場は責任を問われない」と言うことになって結局いつになっても現場のチェック機能が働かなくなってしまうからです。  ただそれと同時に、現在の教育委員会制度はこの機会に徹底的に見直す必要があるでしょう。現在の制度は、文部省、首長の行政サイドと、県および市町村の教育委員会の2重構造とも言える制度になっている上に、教育委員が実質的に名誉職になっており、責任の所在が曖昧で今回のような馴れ合いが生じやすい構造的欠陥を抱えているといえます。    私は、現場の校長への権限の委譲とそれに伴う責任の明確化、首長、及び文部大臣の指揮監督権の明確化を行い、教育委員会は実態に即して「諮問機関」として定義しなおす必要があると、思っています。勿論それは「教育の中立性」を損なうと思われる方もおられるでしょう。しかし、結局のところ世の中に「中立」などと言うものは存在しません。その存在しない中立性を追ったがゆえの責任の不在が、現在の教育行政の大きな問題である様に私には思えます。そうであれば、首長、政党が自らの立場を明確に示して教育を語り指揮を執る、その評価は選挙で受ける、現場での創意工夫は校長が自らの権限と責任で行う、そういう中間を排除した簡明な指揮命令系統の確立が必要だと、私は思います。  教育行政のあるべき姿についての議論は多様で、意見の集約は簡単ではありません。しかし、教育こそ次代の日本を創る要であり、政治がもっとも力を入れて取り組まなければならない課題である事は間違いありません。より良い教育を作るための勉強と議論を深めて行きたいと思います。

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