ニュースの感想

 安倍政権の集団的自衛権行使を契機に、ここかしこで、容認派と否定派が、相互を非難しあう言論を展開しています。
 また、この集団的自衛権以前に、所謂「右派」と呼ばれる方々と、所謂「左派」と呼ばれる方々が、相手方を非難しあう状況が、ここ最近顕著になっています。

 わたし自信がこのブログでいろいろと批判的論評を展開しているのに恐縮ではあるのですが、しかし、「馬鹿」「阿呆」「売国奴」と言う言葉が乱れ飛ぶ最近の言論には、正直哀しい気持ちになります。

 もう30年近い昔になりますが(私も年を取ったものです-笑)、将来への希望に燃えて大学に入った私は、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった中曽根総理大臣のブレーンとしてその名をはせていた佐藤誠三郎先生という政治学者の政治学のゼミに参加しました(医学部の学生にもそういうことが可能でした)。

 そのゼミは討論型のゼミで、毎回、学生同士、また学生と先生の熱い議論が交わされました。

 ある時、まさに「憲法改正」が議題となり、たまたまその時の議長は私でした。その中で、正直当時はそれほど出来るという印象ではなかった学生の一人が(但しこの方はその後官庁に行かれて出世されましたので、完全に私の見込み違いでした)、私の目からは「教条主義的護憲論」と映る主張を延々と展開されました。佐藤教授は当然と言う感じの「機能的改憲論」で、「時代の要請によって改憲することは必要であり、問題ない。」と言う主張でした。最初は興味深く聞いていたのですが、私からすれば必要十分かつ明快な佐藤教授の主張に、その学生が、これも私の目からは、同じことの繰り返しであまりかみ合っていないように感じられる主張を延々続けることに、次第に苛立ちの気持ちを感じるようになりました。
 業を煮やした私が、「これ以上議論を続けても無駄だと思いますから、次の議題に移りましょうか。」と言って議論を切り上げようとしたところ、私は、強い口調で怒られました。

 その学生の方に、ではありません。佐藤教授に、です。佐藤教授は非常に厳しく、しかし決然と、「君、議論をして無駄ということは、絶対にない。人間は、とことん、話せば、理解しあえる。理解しあえなくても、理解は深まる。議論をするということには、必ず意味がある。議論を続けてください。」と言われたのです。

 私は心から自らの浅薄を恥じ、こういう人になりたいと思いました。そして、こういう人を部下に持てる中曽根首相に畏敬の念を抱きました。今にして思えばそれが、私が政治を志す第一歩であったと思います。

 相互理解-相手を理解しようとする努力が重要なのは、単にそれが相手にとって、良いことだからとか、仲が良いことは良いことだからと言うだけではありません。相手を理解することは、何よりも、自分自身を理解することであり、相手を理解することを拒むことは、自分自身を理解することを拒むことだからです。相手が絶対的に悪いなら、自分は絶対的に良いはずで、何の反省も自己変革も不要になってしいます。

 私は、率直に言って、旧日本軍と戦争を美化する、右派と言われる方々の言説が、好きではありません。どのような美辞麗句を並べてみても、そもそも軍隊は、人を殺す為の、それも可能な限り効率的に、可能な限り大量に人を殺すための組織です。人間的であるはずがありません。私の祖父をはじめとする兵卒だった方々の証言から、旧日本軍が、兵站を無視し精神論に頼った不合理極まりない作戦、上官への絶対的な服従と理不尽ないじめ、極端な物資の不足と兵卒の命の軽視が横行する組織であったことは、否定しようがない事実です。どのように言葉を尽くして自衛のための戦争だった弁解してみても、それはこちらの理屈で、外国の軍隊に国土を蹂躙され、多数の無辜の方々の命が奪われた側から見れば、何であれそれは侵略戦争に他なりません。
 一方で私は、軍隊なき平和、軍隊なき防衛を掲げる左派と呼ばれる方々の言説にも、同意できません。軍隊とは直接かかわらないといわれるかもしれませんが、戦後の日本国内においてすら、外国の秘密部隊による拉致と言う恐るべき暴力が現実として起こり、数知れぬ日本人が現実に理不尽な苦しみを受けています。極めて残念なことではありますが、「法の支配、理性による統治、外交による防衛」は、「強制力なき法、実行力なき理性、軍事力なき外交」によっては達成できないというのが、我々が住むこの世界の現実でしょう。

 我々がなすべきことは、戦争の悲惨と、軍隊の非人間性を正面から認めたうえで、しかしそれと同時に、その存在が、平和で安全な社会の存立に不可欠であることを認め、可能な限り合理的で、可能な限り人権が尊重され、どこまでも民主的コントロールに服する自衛隊組織を作りあげ、それをあくまでも日本と世界の平和と繁栄の為に用いつづけることでしょう。

 右手と右手、左手と左手でする握手は、二人でしかできません。10人、100人、1億人で手をつなぎ、力を合わせて日本の未来を創ろうとするなら、右手と左手、左手と右手をつなぎあうことが、不可欠です。
 右と左、左と右がお互い相手の主張と自らの不足を認め、より良い未来を創れる政治を実現したいと、私は思います。


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コメント

私は賛成、反対というよりも、この集団的自衛権が本当に平和的に使われるのかが非常に疑問でした。
もし平和的に使われるのであれば問題はないし、そうでなければ大きな問題がある。
9条の意味が変わるならば、集団的自衛権の意味も都合よく変わってしまうのでは、と不安ばかりなのです。大丈夫なら問題ない。大丈夫じゃなかったらどうしよう、、、ぐるぐる不安がめぐります。
集団的自衛権は集団だから、集団にはいらない国を攻撃します。そこにも子供はいますが、誤爆してもしょうがないと片付けられてしまうのかと思います。そして、こちらが正義になってしまうのではと思います。
どうしたら平和になるのでしょうか。
私はやはり恐ろしいです。

  • Posted by m
  • at 2014/07/04 22:55:54

正に、議論あればこそです。
意思疎通の道具として言語を操ることがヒトにおいて顕著であることが、その存在をヒトたらしめているのであれば尽くすべきです。
議論に慣れない日本人は、議論=攻撃とする傾向もありますが、納得や共存のための道筋であると考えたいところです。
議論は相手の主張を吟味することであり、相手に主張を理解させることです。そこに理不尽な点があれば成立せず、ヒトとしてあるべきではない解決策へと逃避することになります。
しかし悲しいかな、そうした安易な逃避の累積こそがヒトの歴史を形作っているのが現実であると認めざるを得ません。
それでも諦めれば、それまでのこと。肝心なのは、これからです。如何にして、在るべきように在るのか。
「10年先」、更にその先について少しでも多くの人が自ら考える機会を得る上で、議論こそはなされるべきだと思います。

  • Posted by 小山利幸
  • at 2014/07/05 09:34:28

貴殿への反論をご自宅にお届け致しましたのでご覧下さい。また、回答を求めておりますので、誠実にお返事を頂ければ幸いです。お返事はこのブログ上でも構いません。

  • Posted by 岐阜から来た七日市のヨソ者
  • at 2014/07/09 05:09:36

mさん、コメントありがとうございます。

そうですね、今のイスラエルとパレスチナの戦闘を見て分かるように、一方にとっての「自衛」は他方にとっては「侵略」若しくは「殺戮」です。しかしそれは同時に、自らが「侵略」「殺戮」されないためには、「自衛」をせざるを得ないことも意味します。戦争という狂気の中で、理性を失わず、適切かつ十分な自衛に徹することは極めて難しいことですが、それをする仕組みを作ること、そして実際に理性ある決断と実行でそれを行うことが、政治の役割だと思います。その為に、全力で頑張りたいと思います。

小山利幸さん、コメントありがとうございます。はい、まさに今のために、明日のために、そして10年先のために、しっかりと議論し、しかし果断に実行する政治の実現を目指したいと思います。

岐阜から来た七日市のヨソ者さん、コメントありがとうございます。ご意見が長いので、私のほうで要約したうえで、回答させていただきます。

(ご意見)軍隊を人殺しのための組織であるとするのは、感傷的感情論である。
(回答)私の表現に感傷的感情が入っているのはその通りですが、だからとって軍隊が人殺しのための組織であることは否定されず、厳然たる事実であると思います。

(ご意見)日本軍は物資不足と軍事力の差があったから、天皇陛下を掲げた精神論と大和魂で繊維を高揚する必要があったのであり、やむを得ないことである。
(回答)そのような状況を認識しながら戦争に踏み切ったということが馬鹿げたことであり、誰よりも、それによって甚大な被害を受けた、日本国民に対する背信だと思います。

(ご意見)自国領土外での戦闘行為はあまねく侵略戦争だというのは間違っている。
(回答)他国の領土に出ていった側からは、是非はともかく、「自衛のための戦争だった」という余地があるのはその通りかと思います。しかし、他国の軍隊に入ってこられた側から見たら、何であれそれを侵略とるのは当然ではないでしょうか。自らの視点だけでものを見るのではなく、相手方の視点も考える必要があると私は思います。

(ご意見)法治国家には賛同するが、よりさらに上の有識者による人治国家、更には徳治国家を目指すべきである。
(回答)法治国家への賛同ありがとうございます。ただ人治国家、徳治国家には、私は賛同できません。誰を有識者と考えるか、何を徳と考えるかは人によって異なり、判断の基準となりえないからです。現実には変な法律も多々ありますが、理念としては、法律は、「憲法、更にはその上の正義・公正という理念によって規律される、『理』」であり、法治国家は、万人に共通の「理」によって国家を運営しようというものです。たとえ意図としてはよいものであっても、人によって異なり、時に価値観の押しつけとなりかねない、人治、徳治とは一線を画します。

以上、簡単ですが、回答とさせていただきました。ご参考になれば幸いです。

  • Posted by 米山隆一
  • at 2014/07/25 12:09:15

米山隆一様
お忙しいところ、ご回答ありがとうございます。
貴殿を、利権による因習でしか回せない政界に新風を巻き起こしてくれそうな、若くて優秀な人材と期待をしておりましたが、その優秀なるが故に持論の展開が優先され、物事を多面的に捉える事が苦手の様にお見受け致します。まぁ、彼の孔子も「六十にして耳従い・・・」と仰っていますのでお若い貴殿には致し方ない事かも知れません。
再反論ですが、これで終わりにしたいと思いますので、長いですがお付き合い願います。

(意見)軍隊を人殺しのための組織であるとするのは、感傷的感情論である。
(回答)私の表現に感傷的感情が入っているのはその通りですが、だからとって軍隊が人殺しのための組織であることは否定されず、厳然たる事実であると思います。
(再反論)
貴殿は、軍隊を「人を大量かつ効率的に殺戮する為の実力組織」と定義付けされましたので異議を唱えました。軍隊は「外交手段の一つである戦闘行為を通じて敵の戦闘能力と戦意の喪失を目的とする実力組織」です。
軍を動かすには何時の世にも「大義」が必要です。貴殿の様に「単なる殺戮集団」呼ばわりする政治家がシビリアンコントロールで軍を指揮して軍人が付いて来ますか?貴殿の言説は軍人や自衛隊員への冒涜です。これは意見の相違で片付けられる事ではなく、為政者を目指すのであれば、完全に貴殿の言説を改めて頂く必要があります。軍隊=殺戮集団とのお考えでは政治家として不向きです。

(意見)日本軍は物資不足と軍事力の差があったから、天皇陛下を掲げた精神論と大和魂で繊維を高揚する必要があったのであり、やむを得ないことである。
(回答)そのような状況を認識しながら戦争に踏み切ったということが馬鹿げたことであり、誰よりも、それによって甚大な被害を受けた、日本国民に対する背信だと思います。
(再反論)
貴殿の論説として「兵站を無視し精神論に頼った不合理極まりない作戦」が先に述べられて「極端な物資の不足と兵卒の命の軽視」が後に述べられていたので本末が転倒しているとご指摘したまでです。

(意見)自国領土外での戦闘行為はあまねく侵略戦争だというのは間違っている。
(回答)他国の領土に出ていった側からは、是非はともかく、「自衛のための戦争だった」という余地があるのはその通りかと思います。しかし、他国の軍隊に入ってこられた側から見たら、何であれそれを侵略とるのは当然ではないでしょうか。自らの視点だけでものを見るのではなく、相手方の視点も考える必要があると私は思います。
(再反論)
例えば支那事変は盧溝橋事件が発端とされておりますが、この時の日本政府は事態の収束に向けた外交努力を誠心誠意行っております。また、中国大陸での日本軍の駐屯については北京議定書等、中国との外交的契約に基づいて行われております(他国の軍隊に居座られれば迷惑だったのは事実でしょうが)。仏領インドシナについても同様にフランス政府の合意を取り付けております。また、中国共産党は盧溝橋事件から遡る事二年前に、第七回コミンテルン大会に於いて日本を標的とする事を決定し、如何にして中国内戦に日本軍を引きずり込もうかと画策しております。また、更に言えば南太平洋の島々は国際連盟による日本の委任統治領ですから完全に自衛戦争です。これ等は歴史的事実です。これ等をご存知の上で侵略戦争だったと断言されるのですか?
私は支那事変も大東亜戦争も肯定論者ではありません。結果から見れば失政であった事は紛れもない事実です。中国大陸では共産軍の策略に嵌り、対米戦に至っては、白人からトンボ眼鏡を掛けたドブネズミと揶揄された日本人(イエローモンキーどころではありません)が、白人社会からの人種差別的イジメに耐え切れず。また、日清・日露と戦勝した裏付けのない自信から開戦に踏み切った事は明らかに間違いでした。この時の外交担当が松岡洋右であった事が最も不幸な事でした。
更に言えば、通州事件、通化事件、長春包囲戦をご存知ですか?ニコラエフスク事件、敦化事件をご存知ですか?ご存じ無ければ必ず調べて下さい。
明治維新以来、万国公法や国際法の遵守を是としてきた日本国や日本軍が、組織的に虐殺等の悪辣行為を遂行する事は考えられません。勿論、虎の威を借る狐の軍曹や伍長クラスが悪事を散発的に働いた事はあったでしょう。しかし、軍令としてその様な作戦が行われた事実はありません。

(意見)法治国家には賛同するが、よりさらに上の有識者による人治国家、更には徳治国家を目指すべきである。
(回答)法治国家への賛同ありがとうございます。ただ人治国家、徳治国家には、私は賛同できません。誰を有識者と考えるか、何を徳と考えるかは人によって異なり、判断の基準となりえないからです。現実には変な法律も多々ありますが、理念としては、法律は、「憲法、更にはその上の正義・公正という理念によって規律される、『理』」であり、法治国家は、万人に共通の「理」によって国家を運営しようというものです。たとえ意図としてはよいものであっても、人によって異なり、時に価値観の押しつけとなりかねない、人治、徳治とは一線を画します。
(再反論)
相変わらず人の意見を偏って捉えられますね。
私が述べる徳治国家とは、論語の文献を読み漁るまでもなく、wikiの「徳治主義」レベルにも書き記されている様に「董仲舒は陰陽五行説を基に天と人の相互の感応関係を論じた天人相関説を唱えると、天にも陰陽があり、陽が徳で陰が刑でありどちらか一方が無くても国家は成り立たないと説き、徳治主義を基本とする儒教の中で法治主義の補完が必要であると主張したのである。」と言う考えですから、政治家は法治国家を基本として、更にその上に成り立つ道徳教育による徳治主義国家を目指すべきとの考えです。例えば最近の不埒な飲酒運転やドラッグ運転による殺人行為。また、先日の裁判員裁判に於ける求刑の1.5倍の一、二審判決を最高裁が覆した件等々、法で全てに対応する事はできません。話は逸れますが、そもそも裁判員制度は刑の合理性に対する民衆批判に対して、法曹界が職務を投げ出しただけでしょう。職務怠慢ですから裁判官の報酬も引き下げて頂きたいものです。この様に法は完璧ではありません。法治主義だけでは対応できない現実があるでしょう?
だから犯罪そのものを減らすべく民衆の道徳教育と為政者の倫理が必要だと述べているのです。
かつて中曽根内閣の秦野章法務大臣が「政治家に徳を求めるのは八百屋で魚を求める様なものだ」と言い放ちましたが、私は違うと思います。政治家に徳が無ければ民衆の政治不信は永遠に拭えません。

さて、貴殿に対する「隣のボヤを消して喧嘩を仲裁するか」との問いに答えて頂いておりませんのでお答え願います。

長くなりましたが、最後に最近の日中韓問題について一言。
先日、貴殿が政治の師と仰ぐ舛添要一都知事が、得意の目立ちたがり戦法を発揮して朴槿恵大統領と会談致しましたが、余計な事をするなと言いたいです。そもそもオリンピックの視察なら25年も前の私が韓国に住んでいた当時に開催されたソウルではなく、つい先日オリンピックが開催された北京を視察するのが筋でしょう。厚生労働大臣当時の殺人インフルエンザ対応と言い、金を掛けて社会を混乱させる様な事しかやりません。まぁ今回は余程、菅官房長官に釘を刺されたのでしょうか安倍総理の伝書鳩に徹して、大した混乱は招きませんでしたが、それでもペコペコ頭を下げている映像を韓国メディアに編集されて韓国では「日本が折れた」と報じられているようです。
私には、現在の日中韓の状況は「日清戦争前夜」に酷似していると思えます。習近平は袁世凱に、朴槿惠は閔妃に重ねられます。中国は四千年の中華思想に基づく覇権主義に走り、韓国は同じく数千年の中国属国としての事大主義から脱け出せず、独立主権国家としての自覚は大韓帝国成立以来百年以上を経てもありません。もっとも、自ら独立した事は一度もありませんから自覚が無いのも致し方ありませんが。両国の悪癖は数千年の歴史がありますから直りません。
日本は歴史を正しく学び、過ちを繰り返してはなりません。でないと最悪は日中戦争に巻き込まれ、良くても河野談話の二の舞になってしまいます。
そういった意味では安倍首相の「対話の扉は開いております」が最善の策です。但し、そのまま数千年も待てないのが外交の難しいところです。

最後の最後に貴殿に期待も込めて一言。
昨年の参議院選挙で七日市・新田の両集落センターに何人の支持者を集められましたか?
「先ず隗より始めよ」だと思います。
集落センターに住民が大挙して押し寄せる事を願いつつ、お別れ致します。余程勘弁ならぬ書き込みが無い限りコメントする事はありません。
それでは為政者への道、頑張って下さい。

  • Posted by 岐阜から来た七日市のヨソ者
  • at 2014/07/26 16:01:35

岐阜から来た七日市のヨソ者さん、コメントありがとうございます。

「貴殿の隣の家で夫婦喧嘩、親子喧嘩の果てにボヤ騒ぎが起きて火の粉が降りかかってきたら、あなたは火を消しに行きませんか?けんかの仲裁に入りませんか?」との質問にお答えします。

おそらく前後の文脈から、「日中戦争は、満州国での清朝廷の再建と、漢民族の中華民国政府との争いを、日本が仲裁若しくは収めようとしたものであり、日本の侵略戦争ではない。」という趣旨かと思います。

 当時の状況をそのように解釈する余地が皆無であるとは言いませんが、少なくとも当時を知らない私にはそのように信じる確たる証拠はありません。
 そしてそのように信じる確たる証拠がないことでは、今を生きる中国のほとんどすべての人も同じでしょうから、彼らが、そのように信じないのも、当然だと思います。そして、中国人は、おそらくそれと正反対の証拠をそろえた教育を受けているのでしょうから、それと正反対の意見を持つのも、当然でしょう。

 私は、日中戦争、太平洋戦争において、日本がすべて悪かったといっているのではありません。少なくとも中国から見れば、すべての経緯を置いておいて、それは侵略に見えるといっているつもりです。中国からどころではありません。アメリカを含めたほとんどの国から、おそらくそう見えています。
 自分がどう思うかはさておき、他国からどう見えているかについて知るには、その他国の意見を聞くしかありません。それすら否定するのは、独善というものではないでしょうか。

私自身の記事で恐縮ですが、「日本の誇り 他国の誇り(http://www.election.ne.jp/10840/97483.html)」をご一読いただけると幸いです。

  • Posted by 米山隆一
  • at 2014/07/26 20:20:38

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