活動報告

忘年会演説

  • 米山 隆一
  • at 2008/12/25 19:20:36

 12月20日予定通りハイブ長岡で忘年会を開催しました。事前の予約は300人だったのですが、当日分が増加して、400人の大盛会となりました。ご協力いただいた皆さん、大変ありがとうございます。

 大盛会はよかったのですが、あまりに見慣れない大人数に囲まれたせいか、だいぶんあがってしまって私の演説はしどろもどろでした(苦笑)。このままにするのも少々悔しいので、演説原稿をアップいたします(全文がわかった方がより悪いところがはっきりするというご指摘もあり得ますが・・・)。

 時を追うごとに混迷を深める政局を切り開くべく今後とも全力でがんばりたいと思います。

====以下演説全文=====

 皆さんこんにちは。本日は暮れのお忙しい中、忘年会にお越しいただきまして大変ありがとうございます。前回の選挙から早三年がたちましたが、その間変わらぬご支援をいただきました。おかげさまで今こうして次の選挙の準備ができるところまで来ております。心より御礼申し上げます。

 さて、ここのところ私の演説はもっぱらプロジェクターを使っていたのですが、これに頼ってばかりいるとプロジェクターなしでは演説ができなくなってしまいます。後10ヶ月ほど後に選挙があるのにこれでは困ってしまいますので、本日はプロジェクターなしで演説をさせていただきます。

 皆さんもうあらためてきくのもいやだと、今日本は大変な状況に直面しております。サブプライムローン問題に端を発した世界恐慌の影響は、企業業績と雇用を直撃しています。そしてこの問題が発生する以前から顕在化していた日本の社会保障の機能不全は、この問題をさらに深刻化しています。いったいこれからこの地域は、そして日本はどうなるのか、そんな閉塞感が日本全体を覆っていることを否定することはできないでしょう。正直「日本の未来、地域の未来は暗い」と、多くの人が思っているのではないでしょうか。

 でも皆さん、私はここで、皆さんに思い出していただきたいのです。昔はそんなに明るかったでしょうか。今思い出してみると昔だって、十分つらかったし、十分未来は見えなかったのではないでしょうか。

 先ずは戦争を知らない私が言うのも恐縮ですが、大きな大きな戦争がありました。私の祖父は今年89歳でなくなりましたが、満州に行って、シベリアに抑留されて、命からがら逃げ帰ってきた口です。「明日をも知れない」というのが本当のところだったでしょう。
その後日本は一生懸命働いて、奇跡的な復興を果たしました。身内の話ばかりで恐縮ですが、うちの父・母はともに集団就職で東京に出てそこに出会って結婚しています。明日への希望に燃えていたとは思いますが、それでも、地方では食えない時代のつらさを経験しているんだと思います。
 私の時代になると「食べられない」ってことは無いのですが、今私たちが食べているような美味しいケーキを食べたり美味しいアイスを食べたりすることはめったに無いことでしたし、外食なんて1年に何回できるかという状況でした。それに当時は中央と地方の経済格差どころか、長岡と湯之谷村にも大きな経済格差があって、僕は中学の受験で長岡に来たとき、同級生たちが素敵なコートを着ていることに、試験そっちのけでびっくりしたものです。
 高校・大学と日本経済の絶頂期には我が家の豚肉もよく売れて家のくらしも随分楽になって、おかげで神戸の高校や東京の大学に行けました。それでも、まだまだ経済格差は大きくて、神戸に行ったときも東京に行ったときも、同級生がお金持ちなのに驚きました。また楽になったとはいえ、夏休み冬休みに人手が足りなければ参考書片手に豚の内臓を洗ったりしましたし、大学生のとき親父が入院したときには、大学が終わったら高速を飛ばして帰ってきて、夜中豚小屋に行って生まれた子豚を取り上げる、なんてこともしました。

 また、そういった経済的な苦労とは別に雪の苦労はものすごいものがありました。何度かお話したことがあるので繰り返すのは恐縮ですが、私が保育園に通っていたとき、まだ消雪パイプの道路はありませんでした。雪が無ければ15分ほどの道のりを、祖父・祖母が私を負ぶって、雪の道を掻き分けて、1時間ほどもかけて保育園に預けていました。
 中学生になって私はこの上越線でこの長岡に通いました。今ほど除雪がよく無かったですから冬家から駅、駅から学校へと歩くのは結構大変でしたし、冬場は毎年何回かは大雪で電車が止まりました。そんなときはそれこそ片道3時間近くかけて、バスを乗り継がなければなりませんでした。

 またもちろん、48年、53年の2度のオイルショックもありましたし、60年のプラザ合意による円高ショック、もありました。

 でも私たちは、そういった問題をひとつひとつ、丹念に、粘り強く解決してきました。言うまでも無いことだけれど、日本は戦後奇跡の復興を遂げた。雪の苦労はずっと小さくなった、中央と地方の格差は、最近は開いてしまっているけれど、一時は随分縮まりました。その日本が、今なぜこんなにも立ちすくんでしまっているのか、なぜこんなにも未来が見えない思いに浸っているのか、大変長々と昔話をしてしまいましたが、私はこれに対する思いを、お伝えしたいと思います。

 自民党、安部総裁、福田総裁と2代続けて政権を放棄し、現在の麻生政権は発足当初40%ほどだった支持率は現在17%にいたっています。私はもちろん、自民党支部長として全力で麻生内閣を支えますし、身内の批判というものは現に慎むべきものであることもよくわかります。でもそれでも一昨日の雇用法案をめぐるどたばたを見ていると、与野党を限らず、正直、苦労を知らない金の持ちの2世3世だけに政治をゆだねていてはいけないとは、いいたくなります。生まれたときから誰かが作ってくれた豊かさの中にいた人たちに、どれほど多くの人たちが苦労してこの豊かさを手に入れたのか、そしてこの豊かさを維持するために、どれほど多くの努力をし続けなければならないのか、本当にこの人たちはわかっているのだろうかと思います。この切迫した状況の中ですら、どんなにどたばたを繰り広げていても、いつまでも日本は豊かでいられるとでも思っているのかと、嘆きたくはなります。

 でもそれと同時に、その批判は自分自身にだって当てはまるんだと、私は思います。私の祖父・祖母の世代の日本人は、私は知らないけれど、あの戦争にくじけることなく、必死で生き延びてきました。私の父・母の世代はそれこそ貧しさに希望を失わず、昼も夜も無く働いて、豊かな日本を作り上げました。郷土の英雄田中角栄先生は、この豪雪の地をどうにもならないなんていってあきらめはしなかった。無雪道路を作り、除雪体制を整備した。そして、この地域に閉じこもるんじゃなくて、道路を開いて、新幹線を作って、この雪国から日本中に、そして世界中に行く道を開いた。その同じ気持ちを、私は持っているのか、どんな困難でもくじけず立ち向かったその気持ちを今も変わらず持ち続けているのかと、私は私自身にそれを問いたいと思っています。
そして、若輩者で大変恐縮なのは承知の上なのですが、同じ問いを、ここに集まってくださった皆さんに、そして日本中の人たちに、問いたいと思っています。

 私はもちろん、政治家になってもいない、ほんの駆け出しのみです。だからあたりまえといえばあたりまえなのですが、政治という仕事の困難さに、身がすくむことがあります。こうして皆さんの前に立つと、あれもできる、これも簡単だと、言いたくなります。でも、それは本当はどれもとても難しくて、とても大変なことです。でも、だからこそ、やらなければならないし、そこから逃げたら、自分は自分でなくなるし、越後人は越後人で亡くなるし、日本人が日本人でなくなってしまうんだと思います。

 随分抽象論に終始しました。少し、具体的な話をしましょう。医療の問題があります。地方の医師不足は深刻です。解決策が無いのではありません。実現する覚悟が不足しているんです。道路は必要です。でも不要な部分もあります。道路を槍玉に挙げるのは本当はおかしくて、官僚をしっかり切らなければなりません。そしてもちろん医療業界にもたくさんの無駄がある。無駄は、ぶった切ればいいんじゃない。どうやってそれをなくして、それで被害をこうむった人をどう救済して、そしてその結果浮いたお金をどう使う蚊までをしっかりと立案して、説得して、実行して、責任を負わなければなりません。それを最後までやりぬくかくごを、政治かも、政治を支える人も、国民も、もたなければなりません。
 雇用の問題も似ています。大変深刻な状況です。失業者は4.4% 300万人ですがこれが500万人になるとも言われています。しかし失業者1人200万円配ったところで、10兆円に過ぎません。「生活防衛のための緊急経済対策」が43兆円、景気対策総額で73兆円、財政出動が12兆円ですから、いずれも実現可能な範囲です。
 ただし、これもそうは言っても実現には覚悟がいります。失業者に10兆円を使うなら、それはそれ以外のことは、ある程度我慢してもらうことを意味します。先ずもって労働者自身が、「解雇」されることは受け入れざるを得なくなります。失業後はたとえば2年間しっかり保障するから、その間にしっかり就職活動するなり勉強するなりして、職を見つけなければいけません。会社は雇用を調整することは可能になるし、必要な金融は受けられるけれども、その後は自力でやらなければならないということを示しています。それは残酷に見えるかもしれません。でも、この経済危機に対応するには、そうやって「変化の激しい社会に耐えうる柔軟な社会制度」を作っていくしかないと、私は思っています。
 今の危機は100年に一度といわれています。もちろんアメリカ発の金融危機で・・・という今回の状況は、これが終われば当分無いでしょう。でも、今度は、食糧危機による不況が世界を覆うかもしれないし、再び生じる原油高が襲ってくるかもしれません。ことの本質は、もう世界は一体になってしまっていて、かつてのように日本一国にとどまって安全な制度を作ることはできないのだから、世界のどこかで起こった問題が日本に波及しても対処できる、柔軟な制度を作り上げなければならないということでしょう。

 もちろん私は、今私が言ったあり方が正しいということではありません。正解は、もちろん多様です。私が言いたいのは、今私たちは、私たちが作ってきたこの制度を、よいところはもちろん残した上で、作り変えなければならないということです。かつて日本人が、越後人が、不屈の精神で困難に打ち勝ってきたそれと同じ気持ちで、時代に即した社会を、作らなければならないということです。フロンティアは、今ここにあるのだ、そこから逃げてはいけないのだということです。
 それは、もちろん政治を目指す私にとって大きな大きな挑戦ですが、ここにいらっしゃる皆さん、日本人全体にとっても、同じく大きな挑戦なのだと、私は思います。でも、オバマさんではないですが、Yes, We Canだと、私たちはそれをできるし、やらなければならないんだと、信じています。

 先ほど申しましたとおり、私の祖父は89歳で今年なくなりました。なくなる1年ほど前に、私は祖父に、「大変だったでしょう」と聞いたことがあります。それに対して祖父は、「そりゃまあ大変だったさ。でも、一生懸命がんばって、子供のころには想像もできなかったこともたくさんできた。まあいい人生だったよ。」と答えて酒を飲んでいました。私自身、多くの人の助けで、自分が子供ころには想像もできなかった経験できました。私は同じ希望を、今20歳の人も、10歳の人も、0歳の人も、そしてもちろん60歳、70歳、80歳の人も持てる、そんな社会を作りたいと、そして皆さんの助けがあればそれは必ずできると、心から思います。

 ご馳走を前にして長々と熱弁をふるってしまいました。大変生意気なことも申し上げてしまいましたが、若輩に免じて許していただき、今後ともご支援いただけますよう、心よりお願い申し上げるとともに、ご列席の皆様方のご健勝とご多幸、そして新年が希望あふれるものになることを心より記念して、挨拶とさせいていただきます。

 

 


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コメント

自分の幸せは、待っていれば、誰かが持ってきてくれるものではありません。
みんな、自分達の努力・精進により、もたらされるものだと思います。
みんなが少しずつ皆のために努力し協力しあい、自分だけではなく、周りのみんなも幸せに豊かに暮らせる環境を作り上げていきたいと思いました。
中越地震により不便な環境に置かれた中でも 私達は自分・家族はもちろんですが、隣近所声を掛け合い 助け合いいたわり合って過ごしてきました。この貴重な体験を、忘れることなく日々の暮らし生活、人との関わりに活かしていけたらもっとみんなが暮らしやすい世の中になるのでは、と思います。
そのためにも、全体を見守り、的確な指示を出してくれるしっかりとしたリーダーが必要となります。
私達はそのリーダーとなる志しある人達を、しっかりと見極め選んでいかなければいけない。
幸せの夢物語りで終わることのないよう、頑張ってください。

  • Posted by A
  • at 2008/12/29 11:40:21

Aさん、コメント有り難うございます。「リーダー論」その通りだと思います。是非しっかりと選んで下さい。私もお眼鏡にかなえるように頑張ります。

  • Posted by 米山 隆一
  • at 2009/01/04 09:58:23

本当に私達に必要なのは「覚悟」なのかもしれませんね。

将来を見据えて、今、行動を起こす。そして変化に対応して行く。日本人が、私達の父、母、祖父、祖母、祖先が皆やって来た事です。そして、私達に教えてくれた事です。

残念ながら忘年会にはいけませんでしたが、演説内容、未来を熱く語っている米山さんの姿を想像しながら読ませていただきました。

是非、何とか当選して、皆で協力して良い日本を作って行きたいと感じました。
頑張って下さい!

  • Posted by あ
  • at 2009/01/05 00:21:46

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