山口県光市の母子殺害事件に対し広島高裁は死刑判決を出しました。私は常識に沿う妥当な判決であると受けとめています。9年前(1999年)の事件で、一、二審で無期懲役、最高裁では高裁に差し戻し、今回の広島高裁で一転

、死刑判決となったものです。被告側は直ちに上告しました。この事件の最大の焦点は犯行時に少年(20才以下)だった者への量刑に「死刑判決」があり得るかということで、(本件被告は当時18才1月、現在は27才、)これは昔からの大論争ですが、1983年以降『永山基準』たるものが事実上存在し『少年に原則死刑は許されないが、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や社会的影響などを鑑みて極めて例外的に許される』などとして10くらいの要件が列記されています。今回もこれらに照らして「犯行は冷酷、残虐で非人間的、死刑を回避する理由にならない」と判断したと説明されています。
この法律論争はいつまでも続きます。この事件は併せて被告弁護人のありかた、訴訟技術(証拠の出し方など)、被害者遺族の(マスコミの)取り上げ方、死刑廃止論、さらにはいよいよ始まる『裁判員制度』への影響など実に多くの論点を含み、私は法律家としても、政治家としても、強い関心を抱いています。しかし大事なこと、法 律というものは所詮『常識』の集積、集大成であって、悪い者は罰せられる、この当たり前の社会常識こそ が一番健全な判断基準なのです。その意味で私はこの判決を淡々と支持します。
遺族の本村洋さんが「遺族の思いを必ず司法が応えてくれると信じてきた」などコメントされた由、それが抑制されたものであればあるほど愛する者を失った悲しみと無念さ、万感の思いが伝わってくるような気がします。

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