31/8/2006

ロシア・サハリン州ユジノサハリンスク(州都)に到着し夕方には日本総領事館において検討会、明日からの会議に備えました。「サハリン・フォーラム」と呼ぶ二国間の民間協議組織は10年以上の歴史を持ち過去においても二国間に関わる様々の提言をしてきましたが、とりわけ北方領土問題では指導的役割を果たしています。日本側もロシア側もそれぞれ国を代表する学者、論客が揃います。私もその中に伍してこのところの外交活動…
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29/8/2006
マフィンさん、皆さま、原田義昭です。いろいろご指摘頂き本当に有難うございます。ここで一言ご挨拶いたします。私もブログに出す以上皆さまのコメントを真剣に読み、あるときは激励頂いて勇気が出たり、あるときは間違ったことを書いたかなと深く悩んだり、しかし断じて粗末には扱っておりません。その上で皆さまのご疑問にはむしろ本文とバック資料で十分意は尽くしたつもりでおりました。とりわけ8月15日分、タイトルに…
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地元福岡でまた大きな事故。高速道路で飲酒運転の若者が他の車を追突、その車は弾みで側溝のフェンスを乗り越えて15メートル下の海に転落、3人の幼児が水死。事故というより最早はっきりと殺人というべきやりきれない事件。しかもその加害者は福岡市の職員というからなにをか況(いわん)や。単なる個人的な事故なのか、それとも社会構造的なものなのか、本当に頭が混乱してわけがわからなくなるが、それが現実なのだ。
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28/8/2006
九州大学病院を会場に「臓器移植」に関する研究会に出席しました。医者、学者、市民運動家、それに移植経験者、移植を待つ家族の生まの声を聞き改めてことの重大さを認識しました。現在の法律は平成9年、大変な議論を経て成立し「画期的な」法律とは言われましたが、実際には法律上の運用基準が厳しいため殆ど活用例が出てこないという欠陥があります。「脳死」の判定が厳しいこと、15才未満の子供は対象から外れているこ…
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26/8/2006
残暑特に厳しい毎日です。今日は地元のボーリング大会に出ました。大変楽しい大会で、仲間たちと和気藹々(あいゝ)、私も久しぶりいい汗をかきました。点数は実力どおり、2回とも100点を少し超えたくらい、成績は中より少し下。
ところで私は非常に不思議な体験を持っているのですが、一度だけ「198点」という得点を出したことがあります。4年ほど前のやはり地元での大会です。ボーリングにとってこれは極めて高い…
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25/8/2006
昨日の漁船銃撃に対するロシアへの抗議は、朝毎読「日経」含む新聞各紙、インタネット・ニュースなどに記事となりそれなりの反響が出たという感じです。このところ少しずつマスコミへの露出が増えていますが十分な責任と自覚を持ってことに当たらなければならないと戒めています。
昼間地元からTさん一家が訪ねて来ましたので、秘書が国会見学などお世話していました。中学生と小学生の兄弟二人とも、目を輝かせていました…
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24/8/2006

北方領土海域での漁船銃撃事件に関して、ロシア大使館のガルージン公使(臨時代理大使)を国会に呼び衆議院外務委員長としてロシア連邦外務大臣、国会外交委員長あて、正式に抗議書を手渡した。私は「衆議院外務委員会としての抗議だが、併せて国会さらには1億2700万の 日本国民の声を代表するものとして聞いて欲しい」と切り出した。
今回事件での銃撃行為(殺傷)の違法性、乗組員3人と漁船の即時返還、再発防止な…
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23/8/2006
日本外交が弱いと言われてきて久しい。そのひとつにわが外交官は言うべきことを口に出さない(出せない)ところに問題があると私は思っている。国際会議などで議長をやっていて難しいのはインド人を黙らせることと日本人をしゃべらすことだ、というジョークを聞いたことがあるが、これは言い得て妙。日本人は奥床しい、文化風土の中に「沈黙は雄弁に勝る」「阿吽(あうん)の呼吸」というところがありそれはそれで美徳のひとつ…
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22/8/2006

甲子園の高校野球大会の決勝は早稲田実業と駒大苫小牧との間ですが昨日は延長15回で引き分け再試合、球史に残る凄い試合でした。今日の再試合も立派な試合でしたが、最後は早実が4対3で逃げ切りました。早実にとっては初優勝だということ(私には意外でした)で、OBの王監督の名前も頻繁に出てきました。また駒大にとっては2連勝のあと準優勝というから、恐らく当代余程図抜けた実力を持っているのでしょう、(一回負…
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21/8/2006
今福岡市美術館では「横山大観展」が行われています。私は絵や美術の素養は全くありませんが、それでも真剣に対座、観賞していると圧倒してくるものはあるもので、この感性、感受性は大事にしたいと思っています。大観は明治元年(1868年)生まれ、昭和33年(1958年)90才で没するまで独自の日本画画風を完成させました。明治草創期は国家が洋画を奨励するという時期がありましたが、結局は大観らの新派日本画の中…
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