昨日旧友の上木嘉郎君が訪ねてくれた。夜も痛飲し我が家に泊まった。上木は大学柔道部の一年後輩、闘志のかたまりのような男で、皆に好かれ皆は「ファイティング上木」と渾名した。農林省に入り、出世街道を走っていたが、途中潔く退職した。その後は地元熊本に戻り、今や悠々晴耕雨読の生活を送っている。凄まじい精神力と古今の歴史に通ずる博覧強記ぶりには、上木育つこと大木(たいぼく)の如し!の表現しか私には浮かばない。国士のような愛国心、尽きることのない郷土愛、同志の絆、旧満州生まれでアジア主義を標榜。彼の全ては柔道と熊本と農本思想と西郷隆盛・・・というくらいに背筋がピンと真っ直ぐなのだ。
共通の後輩、農水省局長で早世した「須賀田菊仁」のことをともに悼んだ。(日記 平成19年1月17日その2参照)
金栗四三(しそう)はわが国「マラソンの父」と呼ばれる。1912年ストックホルムでのオリンピックに日本人として初出場、以後マラソンランナーとしてオリンピックに都合3度出た。わが国では陸上界、教育界で大活躍、箱根駅伝の実現、朝日マラソン(現福岡国際マラソン大会)の実現などに尽力した。上木もとりわけ力が入る、金栗四三翁は郷土熊本出身の誉れだ。

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