平成21年4月24日発行
田中ひでおのメールマガジン VOL.323
裁判員制度
5月から裁判員制度が始まります。
私はこの制度が本当に必要なのだろうかと疑問に思っています。
米国には陪審員制度がありますが、それは陪審員によって有罪か無罪かを決める制度です。
一方この裁判員制度では懲役とか死刑とか刑罰にまで関わることとなっています。それだけでも何故そこまで一般人の参加が必要なのか、と思いますし、もともと風土の違う国の制度をなぜ導入しなければならないのか私にはどうしても理解できません。
21日、毒物カレー事件の林被告の死刑が確定しました。
各新聞は一斉にこの事件と裁判員制度を関連させて報道しました。
その内容は、この事件が主として状況証拠によって判決が下された結果、この裁判が裁判員制度で行われていたらどうなったか、について課題が残ったという論旨です。
状況証拠しかなかった、被告は否認している、動機も解明されなかった、事件の審理が10年を越えたなど、この事件を裁判員が審理するにはまだまだ克服しておくべき課題が多くあるとのことでした。
特に裁判員の場合、物的証拠と動機が立証出来なければ今回のような死刑とまでの判断はしにくいだろうとの指摘も紹介されていました。
しかし、どの新聞記事も「こうした難しい判断を迫られる事件にこそ市民の良識を反映させるべき」と裁判員制度の意義については肯定的でした。
はたして本当にそうなのでしょうか。
裁判員が難しい事件も審理できるよう法律や環境の整備を急ぐ必要がある、という切り口よりも、そんな難しい審理を本来裁判員でやることが本当に必要かどうか、との視点で論ずることの方が正しいと私は思います。
状況証拠だけの難しい審理にこそプロの裁判官が必要なのではないでしょうか。そこに一般市民の常識が生かされるという理屈は私には理解できません。また場合によっては法律を越えた常識はリンチ(私刑)に至る可能性も否定できないとも思っています。
裁判はやはり常識よりも法判断で裁くべきです。
また一方では、雇用が厳しいなかで裁判員として参加が出来にくい状況も生まれています。
小泉構造改革の中から出てきたこの制度、あまりよく解らないままに実施時期が近づいています。
この際根本から議論をやり直すべきと私は考えますが、皆様はどうお考えでしょうか。
ご意見をお寄せいただければ幸いに存じます。
田中ひでお 拝
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